今日は千葉県出身の戦前の女性活動家・飯島喜美の生涯を描いた「女工哀史を超えた紡績女工・飯島喜美の不屈の青春」の出版記念講演会。椅子が足りなくなり途中で並べるほど多くの方が参加してくださりおかげさまで大盛況でした。


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「飯島喜美の不屈の青春」出版記念講演会

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講演会の冒頭であいさつする小松実県本部会長

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講演する玉川寛治さん


治安維持法国賠同盟県本部の小松実会長のあいさつに続いて、まずは著者である玉川寛治さんが講演しました。玉川さんは飯島喜美が働いていた東京モスリン(現・ダイトウボウ)の後輩にあたります。「飯島喜美のたたかいを歴史に残したいと思っていたが女工についての資料はほとんど残されていなかった。しかし喜美のお父さんが記録を集め、日本共産党中央委員会に寄贈してくれていたことで研究を進めることができた」と執筆に至るまでの経過を紹介しました。


続いて飯島喜美の生い立ちや東京モスリンでのたたかい、日本共産党に入党したのちに警察に検挙され24歳で獄死するまでの生涯を語りました。1912年に生まれた飯島喜美はいまの千葉県旭市の出身。小学校を卒業したあとに女中奉公に出されますが、本屋で本を読んでばかりいたために3日で追い返されたそうです。


その後、当時工場で働く女性たちを集める役割を担った募集人に連れられて東京モスリン亀戸工場に入社。15畳の部屋に10人の女工が押し込められ、賄いによる食中毒もたびたび起こるなどの劣悪な労働環境を改善させるため、多くの工場で労働者がストライキに立ち上がります。東京モスリンでは飯島喜美がわずか16歳でストライキを指導しました。


1929年の「4・16弾圧事件」のあとに日本共産党に入党した飯島喜美はモスクワで開催されたプロフィンテルン大会に代表として参加し、日本の紡績労働者の状態とたたかいについて報告します。帰国したのちに日本共産党中央委員会で活動し、1932年には藤本正平と結婚しますが1933年に検挙。懲役3年または7年の判決を受け(この判決資料はまだ見つかっていません)、1935年栃木刑務所で肺結核によって亡くなります。


あまりにも早すぎる24年の生涯でした。しかし玉川さんの研究によって飯島喜美の生涯とそのたたかいを生きたものとして学ぶことができ、私たちがその生き方から何を引き継ぐべきなのかを考えることができます。


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藤田廣登さん


続いて講演した藤田廣登さんは、飯島喜美とともに研究してきた伊藤千代子、原きくえ、平林せんなどの戦前の女性活動家について紹介。伊藤千代子と小林多喜二との関わりについても話しました。藤田さんの著書「時代の証言者・伊藤千代子」を原案に、劇映画「伊藤千代子の生涯」の制作も進められています。いつか飯島喜美についても映画化したいものです。


会場ではできたばかりの土井洋彦さんの著書「戦前の日本共産党と渡辺政之輔」も販売されました。千葉県で昨年行った渡政没後90周年の記念講演会の講演録です。今日は完売しました。こちらもぜひおすすめです。


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寺尾事務所で日本共産党8中総を視聴するみなさん


午前中は支部のみなさんと日本共産党第8回中央委員会総会を寺尾事務所で視聴。提案された綱領改定案の豊かな内容に驚きました。中国については「社会主義をめざす国とは言えない」と踏み込んだ規定をしましたが、それにとどまらない現在の世界についての見通しを明らかにしています。こちらもしっかりと学んでいきたいと思います。