秋晴れ、というより夏が戻ってきたような陽気です。


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盛況だった渡辺政之輔没後90周年記念講演会

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講演した土井洋彦さん

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主催者を代表してあいさつする小松実実行委員長


今日は千葉県にゆかりのある戦前の活動家・渡辺政之輔の没後90周年記念講演会でした。主催は渡辺政之輔を偲ぶ会、治安維持法国賠同盟千葉県本部、日本共産党千葉県委員会によって構成された実行委員会。実行委員長の小松実前県議(国賠同盟千葉県本部会長)のあいさつから始まり、日本共産党中央委員会学術文化委員会責任者の土井洋彦さんが「戦前の日本共産党のたたかいと渡辺政之輔」と題して記念講演を行いました。資料も豊富で大変わかりやすく、勇気づけられる講演でした。


渡辺政之輔、愛称・渡政は1899年に千葉県市川町(現在の市川市)に生まれ、1928年10月6日に台湾のキールンで警官隊に襲われた末、自殺しました。享年29歳、昨日がまさに没後90周年の命日でした。


花見川区在住の歴史学者・加藤文三さんがまとめているように、渡政の業績についてはこれまであまり注目されてはきませんでした。しかし加藤さんは「その偉大さを知らない人がなんと多いことか。残念でならない」として今回の没後90周年にあたり文章を寄せ、①1922年の結党直後に日本共産党が大弾圧を受け、「日本で共産党をつくるのは早すぎる」と解党論が吹き荒れたなかで断固反対したこと、②最初の綱領的文書である「27年テーゼ」作成の中心になったこと、③小学校卒の学歴で労働者出身者として初めて党の委員長に選ばれ、共産党を労働者中心の政党に作り変えたこと、④党の機関紙である「赤旗」を創刊したこと、というかけがえのない業績を紹介し ています。


土井さんは渡政の活動を支えたのは徹底した学習だったということも強調しました。常に理論書を持ち歩き、労働者に対して資本論の講義なども行ったといいます。共産党内でも意見が分かれていた朝鮮の独立問題について、民族自決権の立場に立ち一切の軍隊の撤去を主張するなど高い理論的到達を築いていました。


同時に渡政の人柄についても紹介されましたが、工場で八木節の大会を組織するなどして多くの労働者に親しまれたこと、同じ工場で働く女性に好意を抱きその女性の名前をタトゥー(!)にするなど、人間らしい一面があったこともわかりました。


弾圧のなか日本共産党は1924年に一旦解党を決めてしまいますが、渡政は労働運動の発展に力を尽くし、党を再建した1926年の第3回党大会で中央委員に選出されます。1928年2月には機関紙「赤旗」を創刊、2月20日には初の普通選挙が行われ、労農党から多くの日本共産党員が立候補します。しかしその直後の3月15日に日本共産党への全国いっせいの大弾圧が行なわれ、6月には緊急勅令で最高刑が死刑となる治安維持法改悪が強行されました。


地下活動に入った渡政は党の再建をめざしてコミンテルンと協議するために上海に渡りますがその帰り、10月6日に台湾で自殺しました。まさに激動の時代を生き抜いた生涯でした。


渡政については語りつくせないものがありますが、千葉県にこうした活動家がいたことは本当に貴重なことです。あらためて日本共産党の戦前のたたかいに確信を持ち、教育勅語の復活など戦前回帰を狙う安倍政権を退陣に追い込むために力を尽くしたいと思います。


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検見川

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畑町

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幕張(幕張本郷は写真を撮り忘れました)


午前中は花見川区内各地で開かれた町民運動会に中村きみえ市議とともに参加しました。地元の畑町、検見川、幕張、幕張本郷とまわり、天気が良くて何よりでしたが熱中症に気をつけないといけないくらいの強烈な陽射しでした。普段なかなか会えない方とも話すことができたりと貴重な機会です。関係者のみなさんにも大変お世話になりました。